piyopiyo_champのブログ

徒然なるままに

楽しいとプレッシャー

はっきり言っていまの仕事は楽しい。
大きな仕事も任せてもらえてるし学ぶことも多く、知らないことを知る、理解する喜びに満ちている。
私は以前は営業職だった。
昨日その当時を知っている他部署の先輩に「いまの仕事楽しい?」と聞かれたので「楽しいです!」と躊躇なく答えた。
それに対し、「営業のプレッシャーがないからかなー」と言った。
何だか今の仕事を営業の下に見られているように感じた。
今の仕事は数字のプレッシャーはないがサボったら営業の時よりも確実にバレるし叩かれる。私自身も営業の時の数倍必死に、ただ自分の力を出せるように、それだけでやっている。
上司はとても優秀な方なのでやることやらなかったら言われるしプレッシャーはある。
ただ我々の仕事は周りから見たら何をしてるのか非常に分かりづらい。営業はとてもわかりやすい。小売関係ならその人の担当企業の店頭に商品が並んでたら仕事してるかわかる。だからこそ我々の仕事を周りに見える化した方がよい。
このままだと何してるかわからんから下に見られることになりかねない。
とにかく昨日の一言が悔しかったのでもっと生き生きと、からりとしている姿を見せられるようにがんばる。

器がデカイ人に対して程礼を持って接する

飲み会とかでこちらが気をつかってなにか料理をよそおうとすると「いいよ気つかわなくて」みたいな感じで言ってくれる人とか、食事に連れてってもらった翌日にお礼を言うとか社会人として最低限のことをしなかった場合何も言ってこない人とか、そういう人ほどその部下の事をよく見てて、何も言わずに静かに評価を下している。

そういう人に対してほどより礼を持って接して当たり前の態度をとった方がよい。

飲んだ

昨日は会社の偉い人と初めて飲んだ。
話題は終始仕事の話だった。
前の自分だったら「やっと今週終わった後の飲みの席でも仕事の話かよ。社畜どもめ」とか思っただろう。けど単純にオンとオフの境目が曖昧な状態で仕事されてて羨ましいなと思った。
その状態が一番成果出せる状態と思うから。
そういうモードを会得したい。

美意識

はっきりとわかった。
自分は他人に対してファッションセンスで人を判断している。
どんなに頭がよかろうと仕事ができようと顔がよかろうとファッションセンスがダサいと判断した人間はバカにする傾向があるようである。
これは自分にとって新たな発見である。

今いる環境でがんばれないとどこいっても通用しないという言説

最近の香川真司の活躍をみてるとどうも題名の件について疑問を持ってしまう。

ほんの一握りの人の事例なのかもしれないけど。

仮に香川真司マンチェスターにいる時に、「今いる環境でがんばれないとどこいっても通用しない」と誰かに言われてそのままもがいていたらおそらく最も不幸な事態に陥っていたに違いない。

漫画家の諌山創先生も運命的に出会った一人の編集者に会う事がなかったらそのまま漫画家になるのを諦めていたという。

一つの才能も大事だけどその才能を見出す環境もとても大事である。

同じような事例がもっと身近な一般人の中でもあるのではないか。

自分自身も、今いる環境でがんばれないとどこいっても通用しない」とことあるごとにいろんな人に言われつづけもがき苦しんだこともあったが、根本的には「人には向き不向きってもんがあるんだからそういう問題じゃないだろう」という思いをずっと持ち続けていた。香川選手みたいに持ってる実力は変わっていないのに環境が変わるだけでこうも輝き方が違うことは往々にして起こりうると思う。

ただ唯一この言説が通用する場合は、「その人がずっとその組織内に居続ける場合」だけだと思う。

その意味は同じ組織内において与えられた仕事を確実にこなし、信用を積み上げないとその人を信頼した仕事、大きな仕事は任せられないからだ。

別にみんな香川選手みたいになれるといっている訳ではなく、自分の能力と今いる環境を俯瞰して照らし合わせて客観的な判断をできるかが重要なんだと思う。

その結果、この場所で自分の能力は発揮できないと判断すればそこにいるべきではないし積極的に環境を変える動きを取るべきである。

向いていないことをいくら続けてもしょうがない。向いていることがわかってるのであればそれができるようになんとか自分で動いて周りを変えるしかない。

一度で無理なら二度、三度チャレンジするしかない。