楽しいとプレッシャー
器がデカイ人に対して程礼を持って接する
飲み会とかでこちらが気をつかってなにか料理をよそおうとすると「いいよ気つかわなくて」みたいな感じで言ってくれる人とか、食事に連れてってもらった翌日にお礼を言うとか社会人として最低限のことをしなかった場合何も言ってこない人とか、そういう人ほどその部下の事をよく見てて、何も言わずに静かに評価を下している。
そういう人に対してほどより礼を持って接して当たり前の態度をとった方がよい。
美意識
今いる環境でがんばれないとどこいっても通用しないという言説
最近の香川真司の活躍をみてるとどうも題名の件について疑問を持ってしまう。
ほんの一握りの人の事例なのかもしれないけど。
仮に香川真司がマンチェスターにいる時に、「今いる環境でがんばれないとどこいっても通用しない」と誰かに言われてそのままもがいていたらおそらく最も不幸な事態に陥っていたに違いない。
漫画家の諌山創先生も運命的に出会った一人の編集者に会う事がなかったらそのまま漫画家になるのを諦めていたという。
一つの才能も大事だけどその才能を見出す環境もとても大事である。
同じような事例がもっと身近な一般人の中でもあるのではないか。
自分自身も、「今いる環境でがんばれないとどこいっても通用しない」とことあるごとにいろんな人に言われつづけもがき苦しんだこともあったが、根本的には「人には向き不向きってもんがあるんだからそういう問題じゃないだろう」という思いをずっと持ち続けていた。香川選手みたいに持ってる実力は変わっていないのに環境が変わるだけでこうも輝き方が違うことは往々にして起こりうると思う。
ただ唯一この言説が通用する場合は、「その人がずっとその組織内に居続ける場合」だけだと思う。
その意味は同じ組織内において与えられた仕事を確実にこなし、信用を積み上げないとその人を信頼した仕事、大きな仕事は任せられないからだ。
別にみんな香川選手みたいになれるといっている訳ではなく、自分の能力と今いる環境を俯瞰して照らし合わせて客観的な判断をできるかが重要なんだと思う。
その結果、この場所で自分の能力は発揮できないと判断すればそこにいるべきではないし積極的に環境を変える動きを取るべきである。
向いていないことをいくら続けてもしょうがない。向いていることがわかってるのであればそれができるようになんとか自分で動いて周りを変えるしかない。
一度で無理なら二度、三度チャレンジするしかない。