会食した。
上司と会食した。本当に男らしくて信頼できる人だ。こんな人とは滅多に出会ったことはない。
根本的な価値観がまったく違うことにまず驚いた。
氏はまずこんなに良い企業が拾ってくれたんだからなにがあってもこの会社に貢献できることを尽くすと入社時に決めたそうだ。
MCに行きたかったのになんでこんな地味な会社なんだと文句を言いながら入ってきた人もいたそうだ。しかし自分はそんな考えはまったくなかったと。
自分みたいなボンクラなんかが会社で貢献できると判断して入れてくれたんだからそれに答えるために愚直に小さいことからコツコツやって、その積み重ねで信用を得ていく。(全然ボンクラどころかとんでもない人格者なんだが)
この繰り返しとのことだった。
「仕事は辛く楽しい」そんな甘いもんじゃない、「辛く辛い」ものだと。
確かにそこまで達観できて、楽しいことを期待せずに、つまりハードルを下げて生きれば得に不満は生まれないということか。
また、自分がこうしたいのになぜ、とか自分が自分がという考えだと不満や愚痴は溜まる一方だと、しかし、主語を自分ではなく会社や世間から俯瞰して自分を見るとどれだけ自分が社会や世間に貢献できる存在なのか問うことになる。
社会や世間から見て自分の貢献度を最大化させる選択が最適解なのではないかと思った。
せっかく一生懸命勉強してシュウカツして良い会社に入ったのにこんなクソみたいな癒着、ごますりはびこる業界でクソみたいな頭を一切使わない肉体労働的作業が多く存在する仕事。俺はこんなクソみたいなことをするために生きてるんじゃないという感情が少なからずあった。だから上司とは180度に近い働くことに対する価値観だったといえる。上から目線が自分で下から目線が上司だったと言える。
皮肉な話だ。
いろいろ話しているうちに俯瞰して感じたことだが、泣くほど感動したり身震いすることはなかったなーとしみじみ感じた。自分の中ではそういう話はバサッと遮断している感じというのだろうか。
ただ今でもこんな奴に声をかけてくれたこと、「お前を一人前にすることが上司である俺の責任」と言ってくれたこと、自分がいかなる選択をしても応援してくれると言ってくれたこと、本当に有り難いと感じた。
損得勘定で動くそこらの先輩、上司とは改めて段違いの人だと感じた。
このことは忘れないようにしたい。
15年10月31日 この記事を振り返る
後でわかったがただ単にFラン以下の大学出身だったからそりゃ採用されたら感謝するわなと思ったし、翌年4月の人事異動で気に入らない人間はどんどん放出したし、あまり信頼できる人ではないなと感じた。
盲信してはダメなひと。これ以上偉くなっても危険な人だと思う。
今後の動向が要注意。